■■3年生 |
建築学科 3年 味岡 美樹 |
私がフィジーに来た理由は2つあります。
実際フィジーに来てみて感じたことは、自分に対する失望でした。文化の違いに戸惑ったり、頭の中では簡単に出来ると思っていたことが衛生面が気になって、なかなか出来なかったからです。フィジーの人はそれを簡単にこなしていました。今まで自分がどれだけ守られた環境の中で生きてきたかを思い知らされました。私は、自分は精神的にも肉体的にも強い方だと思っていました。しかしそれは私の知っている世界の中での事で、実際は全く違い、自分の小ささ、無力さを実感しました。 |
建築学科 3年 稲吉 秀彦 |
今回の実習で一番感じたことは、フィジーの人と日本の人との在り方です。フィジーの人達は皆、赤の他人であっても「Bula!」と挨拶してくれて、人と人とがつながっていて、心を和ませてくれました。日本ではそんなこと滅多にないです。この違いは何だろうと思いました。暖かい風土がそうさせるのか人口の違いか、けれど社会というものが人と人とのつながりの輪なら、どちらが健全かなーと、考えたら、自分はやっぱりフィジーの人達のほうが好ましいと感じました。それだけに、マナ島でのフィジー人の変わりように少なからずショックでした。そこで色んな基盤設備を見たせいもあって、文明が人と人との間をあけていくのか、と何となく思った。
[感想] [意見]
ここからは少しくだけます。少―し口が悪くなるかもしれませんがご容赦を。
[反省点]
その他いろいろー |
建築学科 3年 深沢 朋美 |
この実習に参加し、以前とは違った視点で物を見ることができるようになり、また、自分自身を見つめ直しました。まずは、日本という国の贅沢さに気づきました。日本人はおふろで水をお湯を大量に使うし、食べ物も、スーパーに陳列された厳選された肉・野菜を買い、さまざまな娯楽に囲まれ、ブランドにこだわり、どんどん進化する家電を追いかけ、大量のごみを出し生活しています。そんな事はフィジーに行く前はあたり前のことで、このぜいたくには何の疑問も持ちませんでした。しかし、行ってからは、そんなぜいたくな生活の日本人より、フィジーの人達の方が、人生を楽しんで生きているような気がして、その贅沢さがムダに思えてきてしまいました。しかし、そう思うのもつかの間、日本に帰ってきてしまえば、ああ日本が一番良いと思ってしまう自分がいて、少し悲しくも思いました。 そして次に、フィジーの村の人達は「生きる為に働いている」という印象を受けました。私達は「お金のために働いている」であり,決して「生きる」という事に直接つながっていない気がします。私達は、「働く」と「生きる」の間に絶対「お金」があります・バイトも決して「生きる」為ではなく、「お金」のためにやっています。そんな「生きるために働いている」という人々を見てとてもステキだなと思いました。日本にも、田舎の方へゆけばそのように生きている人々が沢山いる事でしょう。そのような人々が増えれば、きっといつか昔の日本のようなあたたかい国になりそうだなと思ったりしました。だから自分も、少しでも「生きる為に働いている」というほうに近い仕事ができたらステキだなと現実では厳しいでしょうが、そう感じました。 また、自分がこの実習を受けてみる目的の一つに「リゾート開発は、どんな影響を周りに及ぼすのか知りたい」というものがありました。リゾートと聞くと、なんか、素晴らしく、経済的にもその土地はうるおうであろうし、自然と意外と共存してくれそうな宵イメージがありました。しかし、今回2日間だけではありますが、マナ島、リゾートIslandへ行き、リゾートダメじゃんと思いました。マナ島は確かにキレイだし、お財布持たなくてもいいし、マリンスポーツたのしめる島でしたが、私的には、1日や2日もいたら飽きてしまう島でした。 私にとって、ガリマーレ山や、本島の海のほうが、新しい発見が度々あって楽しいし、現地の人の生活に近いところにいる事ができ、それによっても、発見する事が多々あり、マナ島よりも全然魅力的でした。自然の魅力を残しつつ、人が訪れやすいリゾートがつくられたらステキなのになと思いました。
最後に、このフィジーでの思い出は、私の今までの思い出のbest3に入ります。フィジーの夜空で見た見事な天の川、そしてフィジーの自然、村やUSPの人々の暖い心、先生方や一緒に行った仲間これらの思い出は一生忘れません。
こんな素敵な思い出をくれた、魅力的な、私にピッタリなフィジアンタイムのあるフィジーにまた戻れたらなーと思います。その時は先生、再びよろしくお願い致します!(笑)
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建築学科 3年 新宅麻未 |
まず第一に、この実習を進めていくにあたって、様々な方の協力があったのだが、関わったすべての人に感謝したい気持ちでいっぱいである。 なにから話せばいいだろう。
1ヶ月たった今、未だに整理されず、私の胸に様々な思いがあふれている。
フィジーは2回目だったが、前回とは違うメンバーで実習をした。見ず知らずの人たちなのに、実習を重ねるたび分かり合い、助け合って過ごす。それは日本人の間だけでなく、現地の学生や村の人たちとも、そうであった。共に生活していると、彼らの勉強に対する姿勢や人に対する優しさなど、多くを学ぶことが出来た。彼らは少しもそんな事を言わないが、一緒に過ごしていれば感じる。本当に多くの事を教えてくれた。 この実習で感じ、学んだ事をこれからも大切にしようと思う。 |
建築学科 3年 天明 望 |
この実習も明日で終わってしまう最後の夜。振り返ってみると、本当に沢山の貴重な体験ができたなぁと思います。こんな機会を与えてくださった先生方やアシスタント、ウィングのみなさん、サポートしてくださった多くの人に感謝します。それから、良い仲間ができたことを、とてもうれしく思っています。 日が昇って、朝が来て、昼は暑くなって、日が沈むときっちり夜が来て。そんな1日の流れが体に入ってくる。真っ暗な本当の夜が来る。満天の星空。サンゴ礁には見たことのない、想像のつかないような色や形の生物がくらっとくるほどいる。地球の大きなスケール、自然の流れにただただ圧倒されるばかりでした。 東京のようにアスファルトで固められていない土の道は、雨が降るとぐちゃぐちゃになること。橋のない川を馬や足で渡る人たち。目が合うと挨拶してくれるフィジーの人たち。ブタやにわとり、犬、馬がそこらへんに歩いている村の生活。どれも実際に来ないとわからないことばかり。 フィジーを見ることで日本…自分のまわりの環境についても考えることができました。国民性のちがい。日本人のよいところは細部にこだわって繊細なものを使ったりできることだと思いました。東京では電気や水を使いすぎてるなぁということを何度も感じました。お金や道具の使い方についても考えました。お金や道具はあると便利だけれど、それに使われないようにしたいです。 東京は自然に圧倒されることはごく少なくて、気づくと人間のことばかり考えてしまいます。フィジーで一番感じたこと、自然の大きさと人間の小ささ、人間が生きていくのに必要なもののことを日本に帰っても忘れずに、ちょっとずつでも考えていきたいと思います。そしてそれを将来の自分につなげていきたいです。 ありがとうございました。これからもよろしくお願いします♪ |
建築学科 3年 星野 佳子 |
フィジーに来るのは今回で三回目になる。こんなにも急ピッチで同じ国に行くというのは始めてであり正直驚いている。なにがそんなにも私をひきつけるのか今も具体的に言葉で説明することはできない。しかし、フィジーに初めて出会ってから一年を過ぎようとした今何かが私で変化したように思える。
2003年フィジー実習参加の希望用紙に私は、自分が何をしたいのか探しに行く旅というニュアンスで書いたことを記憶している。二年生前期、設計や建築の勉強が充実していた中私が生涯かけて仕事にしたいことは建物をデザインすることなのだろうかデザインするとしても知識、技術と同じくらい経験しておかないことがあるのではないだろうか不安定だった。そんな中地質、植生、測量と幅広い学習でもけして建築と無縁ではないだろうと考え参加を決意した。いろんな経験をしてたくさんの人に出会った。そして今の私がある。このことはどんな人にも誇りを持ってはなせるだろう。
アシスタントとして難しかったのは、どこまでがアシスタントであるということだ。同じ年代以上の人に指示を出すことは私にとって少し抵抗があった。特に普段近くで暮らしている人たちにあれやってこれやってと指示を出すのがつらかった。経験者としてしっかりしなければならなかったのにたまに戸惑いを隠せずちゃんと仕事をこなせなかったこともあった。時間内に買い物を済ませることができないことが多々あった。その度に去年アシスタントとして参加していた岩松さんと坪井さんがすごいなと思った。だから、本体と分かれるとき何人かの参加者に"ありがとうございました"いってもらったときうれしさの反面とてもすまない気持ちになった。今回は二回目ということもあり実習内容も少し改善されたがメンバーによって雰囲気が大きく変わるのだなと感じた。そんな中でも十分楽しむことはできた。今回は、まだ幼さは残るがとても温かかった実習だったと思う。今回のメンバーはいろんな人たちとの交流が多かったと思う。短い期間でもう会えないかもしれない彼らに一生懸命ぶつかっていたと思う。一回目を体験している我々にとって大きなギャップを感じたわけだがこういうことは実際現地に行かなければわからないなと思った。 第二回実習メンバー、各先生方、ウイングの皆さん、村の方々、フィジー各所でお世話になった方々本当にお世話になりました。 |
建築学科 3年 渡邉 嘉明 |
USPの学生と実習の(後半でなく)前半に一緒にいられたことで、英語を使うことへの抵抗がなくなり、実習期間中、現地の人と、うまくつたわったかわからないが英語で会話をしたり、ためらいなく一人で買い物に行くこともできました。 ただ先生も知っているとおり、中に数人、こいつは何をしに来たんだ?という奴がいたので、USPとの交流は是非残して欲しいものの、学生の剪定をして欲しいです。 ビチレブのあちこちの村を見た後での、リゾート地のマナ島。 半数以上がそうなのではないかと思うぐらいの日本人と欧米人の数。さらに、おそらくその日本人と欧米人がいるから必要とされているであろう発電機。
下水施設はしょうがないにしてもあれだけの数の発電機とそれに使われる大量の化石燃料。 |
都市基盤工学科 3年 神足 洋輔 |
昨年に続いてフィジー実習に参加して、今年特に思ったことはガリマーレのタワタワンジ村の人たちの笑顔とやさしさにより触れることができて本当に良かったです。昨年は、村泊をしなかったので今回ほど交流することが出来なかったけれど、その分今回は楽しむことが出来ました。 アドバンスコースについては、タワタワンジ村周辺の住居建設に関する予定地調査、村の下水とごみ処理についての現況を調査することができました。イノケさんのゴミを焼却することで衛生的になるということを聞き、住居建設に関して上下水道とあわせて下水・ゴミが特に重要であることを感じました。日本の様な高価な処理設備を建設することはコストの面で難しくなるが、村の生活を見る限り、水を大切に使っていることを考えると、基本的な処理設備で十分な汚水の処理ができると思います。ただ、ゴミに関してはすべのゴミを捨てて、一気に償却することは環境面での問題があると思いました。まずは生ゴミとそうでないプラスチック・金属類に分別するような習慣を村の方々に伝えることが必要だと思いましたが、その時に、どの様に。誰が。どうやって伝えるか…これから、様々なことを考えていかなくてはならないなと思いました。フィジー実習メンバーがこれからガリマーレでつくりあげるものは他では決してできないこと。そのことに加えて日本人が忘れてしまった笑顔あふれる村人のくらしを体験できることを、この実習を通じてあらためて強く感じました、 一つの建物をつくるにしても、建築・土木・電気・機械など様々な工学技術が必要などだと思い、お互いが協力しながら、良い形として住居が出来ればなと思いました。 良かった点 悪かった点・反省点 最後に |
都市基盤工学科 3年 高橋 一暢 |
私自身のこのフィジー実習の目標は主に2つありました。
次に測量ですが、自分自身が普段、都市基盤工学科で測量の勉強をしていますが 最後に先生方をはじめたくさんの方達にお世話になり、充実した実習を終えることができました。どうもありがとうございました。 |
環境情報学部 3年 秋元 裕子 |
フィジーにきた当初、私は素直に「日本は良い国だ」と思いました。 そんな現代っ子な私ですが、今回の実習でものすごくわくわくどきどきしていたのがタワタワンジ村の現地泊でした。この一泊で「生活環境が人間を作るんだなぁ」ということ強く実感したのです。人間の本質は国籍、人種、性別、ひょっとしたら年齢すら不問で同じなのではないか、という気持ちが起こりました。それは「カメラ」という文明の利器たる刺激を目の前にした村の人たちを見たときの思いです。「カメラ」に群がるその様は、まるで自分達の姿を俯瞰してるようでもありました。「カメラ」を手に、事ある毎にきれいな景色を目の前にしたとき、他の誰かが撮影をしたときに、レンズを向ける私たちと彼らの間にどれだけの差があるのだろうか、なんてことも考えました。つまり、村の人たちの心は純粋でひたむきなのは事実だろうが、それは「カメラ」(物質)が無いから、というだけの様にすら思ったのです。それはまた逆に、自分達は「カメラ」を持っているだけに過ぎないとも思いました。この投げかけは自分の元にそのまま返ってきました。私は今回の実習の目的を「メディア実習」にしていました。であるからしてビデオカメラを片手に目に入るもの全て(とは言いすぎですが)撮りまくっていました。自分にとって意味を成さないだろう映像もたくさん撮りました。それはいかんな、ということです。それではただの遊び、ビデオカメラに使われている、という感じ。(しかし実際、実習前に、フィジーに自分がいない時分に明確な目的をもってメディア実習に臨むのは、経験のない私にはかなり難しいというものでした。全日程を終えた今だからわかることがある、という痛い教訓があります。) あと、異国の地に身をおくことは時分の日常をものすごく自覚できるものでありました。実習中に某学生(複数人)が言っていたことではありますが「物にあふれる日本はダメ」なのか、ということも考えました。単にダメだ、というのは違う気がします。寧ろ、戦後の焼け野原から今日の日本をつくり上げてきた上の世代の人々の不断の努力を思うと(そのおかげでもありますが)この甘え世代の私たちが「今の日本あかん」というのはあまりに安易であると思いました。勿論、私が言うまでもなく、日本の高度経済成長は富と同時にたくさんの問題も生んできました。それが「ダメなところ」なのであって、物や食べ物、(あるいは人も)を粗末に扱ったり、欲望のままに求める姿は限りなくみっともなく、悪しきことであります。否定するのは簡単なことなのですが、私たちは「便利」を超えた「楽」な生活を送らざるを得ないのであり、その中で自分はこのフィジーでの日々でinputしことを日常の生活の中でいかに行動(output)できるかだ、と思います。 私たちの「物質の豊かさ」を一番感じたのは荷物移動のときです。「何でこんな物持ってんだろ」って何の気なしに、ものすごく単純に思って、滑稽ですらありました。便利なこんなたくさんの物に囲まれている人間は軟弱である、とも感じました。(フィジーではいつもより大胆で豪快だった気がします。) 最後に、世界は画一化されていくのだろうか、と思いました。近代化、文明化してゆくのか?それは良いこと?何でいけないの?自分たちは文明にあやかり便利(で楽)な生活を送っていて、非文明国に対して君等は君等だよ、というの?それは良いこと?悪いこと?そんなのわかりません。悪いことをいってしまえば今の自分たちの生活を否定することになる。別に悪いことはないだろう、こんなに便利なんだから!!「日本は良い国だ。」
私はひょっとしたらコミュニケーション不足でものすごく頭デッカチになってる気がした。それとも酷いひねくれ物なのかも知れない。どうなんだろうか。難しい。けれども正直に思ったことは、私はもはや、あの村で人生を送ることは出来ない、ということです。自給自足でそれが生活の大半である人生の中で、どれだけのことが出来るだろうか、出来ないだろうか。 その上で自分が何を感じ、何を思い、何を考え、そして何をするのかということ。これが意味のあるということ…なんて しかし、これ、人間。何たる傲慢さ、怠けっぷり、酷い。こんなのありですか。え、生きることが当然っていうのは、どういうことだ??? 体験し、受けた刺激が、また感じたことがあまりに多く、しかもそれらは20歳の私には到底自分の中にすら結論が出せないことだらけですが、日記やこのレポートをたまに見返して日常の中に埋没してしまうようなフィジーで感じ取ったテーマを胸に起こし、向き合おうと思います。 後悔、反省が多々ある事実は心して受け止めなければなりませんが、それすら有意義にしたいのであって、このフィジー実習は私の大切な貴重な財産であること、あり続けることは確かな様です。 |
環境情報学科 3年 小野 栄子 |
私は、1年生のときにオーストラリアの熱帯雨林保全プログラムに参加し、たくさんの貴重な体験と仲間が出来、普段の勉強とは違う、実践的なフィールドワークに興味を持ちました。今年の夏も何かしたい!という漠然とした理由で参加させて頂きました。フィジーという国には以前から行ってみたかったのですが、観光旅行でマナに行って満足したとしても本当のフィジーは知れなかったと思います。クロウズネストでの生活は精神的にとても豊なものでした。村の人たち・USP・クロウズネストの従業員・他のお客さん。いっぱい出会いがありました。みんなとても親切で、この人達に会えただけでもこのプログラムに参加した意味があった気がします。村の生活はびっくりするほど日本と違ったけど、何かとても温かいものを感じました。すごく嬉しかったのですが、同時にたくさん考えさせられました。村の人たちにとって私たちが行くことは良いことなのでしょうか?いまだに疑問に思います。あの村の人たちはずっとあのままでいて欲しいと思います。私は環境情報学部で国際関係学を学んでいますが、色々な国の政治・経済についてメディアを通じて知り、机上で考えることしか出来ず、正直このような勉強に何の意味があるのか、疑問を抱き悩んでいました。しかし、その背景でフィジーのような小さな島国でもフィジーの文化があり、温かい人々が暮らしている、そう思うと学ぶ意識があるような気がするし、知らなくてはいけないと思いました。 実習に関して言えば、私は測量が一番楽しかったです。全く初めてだったのですが、何もかかれていない真っ白な紙に1つづつ点をつけて正確なデータを作るというのがとても興味深かったです。このプログラムは自分の普段とは違う勉強を出来る所、色々な体験をさせてくれるところが魅力的だと思うので、これからも佐藤先生にはがんばって欲しいと思います。 短い間でしたが、本当に充実した日々を過ごすことが出来ました。明日日本に帰り、また今までのような生活が続くのだと思います。このフィジー実習は夢のようなときになるかもしれません。しかし、この実習を通し、自分なりの考えをもち進んでいきたいと思います。このプログラムにかかわったみなさんにとても感謝しています。本当にありがとうございました。 |
環境情報学科 3年 中屋 紀子 |
私にとってFIJIでの研修は、タワタワンジの村、USPの学生、石、植物、、、との交流を通じて正に現実逃避の8日間でした。脳裏の残るのは、青い海や険しい山道、満天の星空、体に染み付いたのがフィジアンタイムです。 印象に残ったことは、事前学習や、実習地の河原で行われた石の物語を考えるというもので、乏しい知識ながらも楽しんで取り組むことが出来ました。その影響か現地で、動物、植物、山、川、海を見ていると、なぜそれがそこに在るのかということを自然と意識して見ていたように思います。 FIJIに行って私が特に興味を持ったことは、FIJIにおける在来種の問題でした。実習地の山をせっせと登り、山の上からの景色に見とれていると、乾季で山全体にあまり緑が少ない状況でいたるところに生育して山に青みを添えていた植物が、実は帰化植物だったことを知り、大きな衝撃を受けました。日本でも最近、外来種による問題が増加してきていますが、フィジーもやはり同じような問題を抱えていて、実際は日本よりも深刻な状況である事を知り、目の前に見えていた大パノラマが強い意味を持って見えました。自分の足で歩き、目で見ることによってフィジーの現状や歴史を直接肌で感じることが出来たように思います。 帰国後実習を振り返り、少し残念だと感じたことは、向こうでのプレゼン等で、あまり良い発表が出来なかったということでした。限られた時間の中で準備をするので、やはり限界があるとは思います。しかし、自分も含め事前の段階で、資料の準備等のもう少しの努力が出来たのではないかと思う部分がありました。せっかくの機会なので、自分自身で、更なる理解の向上や、意識の交換が出来たのではないかと今感じています。 今回は、前回の実習の反省等から、全実習の合間に休息日の配慮をされたということでしたが、前半の天候のせいもあってか、実習の時間がもう少しあると良いように思いました。もしくは、実習地まで行かないまでも、講義形式(あるいは討論形式)で実習地の状況や各自のレポートテーマについて学習するという休息日の使い方があっても良かったのかなと思いました。 |
環境情報学科 3年 前山 ひろこ |
たまたま説明会を聞いて参加することを決めたこの自然体験実習の間、私は本当に充実した日々を送ることが出来ました。初めての体験だった測量調査や、険しい山を登りながら観察した地質、植生調査そしてセブセブの儀式への参加やUSPの学生との交流など。自然に囲まれゆっくりとした時間が流れていて物質的には決して豊ではないのに、心が豊かで常に笑顔があふれているフィジーでの様々な大変は、お金がもたらすのは物質的な豊かさであることを痛感させられ、今までの日本での生活を見直すきっかけとなりました。また、山を登るときの現地の人々がとても軽装だったのに比べ、私たちの重装備な格好は日本人のひ弱さを感じました。物質的な豊かさ、文明の力を持ってしか自然に入ることの出来ない。悲しい現実だと思います。 フィジアンの気さくな人柄、青い海、青い空、満天の星空に触れることの出来たこの貴重な時間をこれからの人生の糧として頑張っていきたいと思いました。自分が出発前に立てた「今しか出来ないことをする!」の目標は達成できました。
反省点
今後に期待すること
最後に |